ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
ブレディみかこ 著 /
そこは、イギリスではけして「優秀」とは位置ずけられない、いわゆる底辺中学校。
その学校に通う、日本人の母親とアイルランド人の父親との間に生まれた11歳の「ぼく」。
現在、イギリスではEU離脱派、残留派、移民と英国人、階級の上下、貧富の差、高齢者と若年層など、あるとあらゆる分断と対立が深刻化している。
こうした時代の空気は、ぼくが通う中学校でも容赦なく流れ込んでいる。
いや、むしろ子供たちの方が、より剥き出しの形で、トリッキーな社会問題として目の前に現れる。
ぼくにとっては、毎日が事件の連続なのだ。
人種差別丸出しの友達。
里親に出される元クラスメイト。
制服を買えず、ボロボロのズボンを引きずる移民の子。
富裕層と貧困層で観客席が分断される地域の水泳大会。
多感なぼくにとっては、それは出口のない難問だ。
「多様性っていいことなんでしょ?学校でそう教わったけど…」
「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えない、そりゃない方が楽よ」
「じゃあ、楽じゃないないものが、どうしていいの…?」
「楽ばっかりしていると、無知になるから」
音楽好きの少しパンクな母親はそう答える。
自分と違う立場の人々や、自分と違う意見を持つ人々の気持ちを想像してみる。
つまり他人の靴を履いてみること。
それが大事なのだ。
ある日、新しい制服を買えない友人に、制服のリサイクルをやっている母親は、その子に制服を与えることを提案する。
ぼくは、その友人がだらしない身なりで周りから馬鹿にされていることを知っているので、プライドの高い彼には学校では渡せないと言う。
だったら、家に招いて、それとなく渡せばいいんじゃないと母親。
でも、なんて言えばいいのだろう…
これで周りからとやかく言われなくなるよ、なんて言えないよ…
母と子はまたしても思い悩む。
当日、家に招かれた友人は、新しい制服を手にしながら少しイラついた目で、
「でも、どうしてオレにくれるの?」
少しの間、所在なく立っているぼく、
「友だちだから。君はぼくの友だちだからだよ」
「サンクス」
と言って、紙袋の中に制服を入れ、ぼくとハイタッチを交わして玄関から出て行く。
「バーイ!また明日、学校でね」
ぼくのスクールライフは、明日もまた続く。
★ハッとしてグッとポイント★
学校は社会を写す鏡。
常に生徒たちの間に格差は存在する。
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