等伯
安部龍太郎 著 /
現在からさかのぼること約400年前、安土桃山から江戸初期に活躍した絵師、長谷川等伯(はせがわとうはく)の怒涛の一生を描いた骨太の物語。
当時、日本画界には、狩野永徳(かのうえいとく)率いる狩野派が王者として君臨していた。
その王者に挑むべく無名の絵師、等伯が人生の全てを投げ打って、這い上がっていく様が描かれている。
信長の御用聞き絵師として名声を欲しいままにしていた永徳は、町屋の絵描き風情の等伯を軽く見ていたのだが、そのたぐいまれな才能と人々を魅了する圧倒的な画風で頭角を現し、狩野派の牙城も崩す存在となっていく。
その存在に恐怖すら感じた永徳は、様々な妨害で等伯の行く手を阻む。
しかし、様々な苦悩や挫折を繰り返しながらも、天下の絵師になるという強固な信念のもと等伯は一心不乱にその壁をも突破していく。
等伯を絵師として突き動かすその信念とは、戦国の世の激動に翻弄され、養父の死、妻の死、息子の死、心の師とあおいだ利休の死、そして最大の好敵手永徳の死と数々の底知れぬ悲しみ、 無念の想いとともに、駆け上っていく。
そして、豊臣秀吉の「誰も見たことのない絵を描け」という難題に命懸けで挑み、あの日本画史上最高傑作の水墨画と称される「松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)」が誕生するのである…
いやあ、もともと日本画大好きな私としては、血湧き肉躍る程、興奮せずにはいれないわけで、特に当時の日本画の巨人、永徳に挑む無名の絵師、等伯の姿が、まるで大企業に挑む中小企業の生き様に重なって実に面白い!
激動の時代背景の中、絵師達がどのような想いで絵に向き合っていたのか、当時の暮らしぶりやその息吹、絵師達の鼓動が伝わってくる様でした。
さらに、この物語に登場する絵が、400年の時を経て、今でも観れるという、このロマン!この奇跡!
早速、京都へ等伯に会いに行こう!
★ハッとしてグッとポイント★
もともと等伯は無名の絵師時代に狩野派で絵を学んでいます。
というのも永徳の父、松栄(しょうえい)にその才能を買われて狩野派での弟子となるわけです。
当時、世の権力に影響され過ぎて本来の絵師の志を忘れていた永徳に好敵手を!ということで、父が息子に放った最高の刺客だったわけですね。
しかも松栄は等伯の力が狩野派をも崩しかねないリスク覚悟で、息子の目を覚まさせてあげたっかたのです。
これもまた親心というやつか・・・
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