われ敗れたり
米長邦雄 著 /
人間の智とコンピューターの智、どちらが優れているのか?
スーパーコンピューターが登場し、膨大な情報処理能力を獲得した人工知能。
では、現在果たして人工知能は、どれだけ人類に近づき、いや、追い越しているのだろうか?
そういう疑問が渦巻く中行われたのが「電王戦」。
将棋を通して、人間と人工知能が真剣勝負をする。
プロ棋士がコンピューターに負けるはずがない、負けてはならない。
という風潮の中、誰がコンピューターに挑戦するのか?
現役のプロ棋士は、現在のコンピュターのレベルが非常に高いことを危惧し、及び腰になる。
では、私がやろうではないかと、当時、日本将棋連盟会長を務めていた、米長永世棋聖が名乗りをあげる。
当時68歳、プロ棋士として現役を退いているが、その実力は名人まで上り詰めた折り紙付きの棋士である。
こうして、2012年1月4日、米長永世棋聖 対 世界コンピューター将棋選手権の覇者、ボンクラーズとの対戦が、ニコニコ動画を通して、約100万人を超える視聴者のもと開催される。
世界最強の人工知能ボンクラーズは、一秒間に18,000手を読むというとんでもない代物。
そんなモンスターマシン相手に米長棋士はどうやって勝つというのか。
まず米長棋士が始めたのが、詰将棋に没頭すること。
現役当時の棋力に近づくため、深く考え、脳みそに汗をかく、その地道なトレーニングを怠るわけにはいかない。
さらに相手を研究するために、ボンクラーズを自宅にセッティングする。
この最強将棋ソフト ボンクラーズは、富士通の技術者が開発した人工知能。
富士通と言えば、当時最強のスパーコンピューターと謳われた京(けい)をも作り出す猛者。
ボンクラーズを目の前にした米長棋士は、その予想以上の強さに打ちのめされる。
何度対戦してみても負け続ける。
そこで米長棋士は「自分よりコンピューターの方が強い」ことを認め、それを受け入れた上で新たな戦略をを立てる。
連日連夜、研究を重ねるにつれ、僅かな光明が見えてくる。
コンピューターは序盤戦が弱い。
その反面、終盤になると凄まじい強さを発揮するが、無限の選択肢がある序盤では、コンピューターの手が僅かだが、緩む。
勝負は序盤戦で決する。
米長棋士は序盤で圧倒的な優位を築き、一気に勝負をかける作戦に出る。
さらに米長棋士は、相手がコンピューターだからこそ生きる秘策を見出す。
かくして、この世紀の人間対コンピューターの真剣勝負は、100万人を超える視聴者、関係者のもと行われる。
後手、米長棋士が初手で指した手は、
「6ニ玉」
この初手「6ニ玉」、将棋を少しでもかじっている人ならお分かりだと思うが、通常ではまず考えられない一手である。
今までの将棋ではまず意味のない、無駄な一手でしかない。
将棋関係者らの間でも物議を呼び、これは機を狙った一手「奇策」だと悩ませる。
しかし、この一手こそが米長棋士の秘策であった。
過去の棋譜をさかのぼっても、こんな手は存在しない。
狙いが相手に全く見えない手である。
ボンクラーズは、遥か江戸時代の戦型から、最新の戦型まで、全てを理解して差している。
しかし、データーベースに存在しない手で攻めてこられたらどうなるのか。
米長棋士が放った後手番初手6ニ玉という将棋は、実戦では誰も指したことがなかった「鬼手」、つまり
コンピューターが持つ全ての序盤データを無効化する一手であった・・・
米長棋士が放った鬼手6ニ玉は、対コンピューターには有効打となった。
コンピューターは今までの棋譜データにない指し手に翻弄され、序盤から中盤にかけ、米長棋士、圧倒的有利に局面は動く。
しかし、中盤から終盤いかけて、米長棋士は致命的な見落としをしてしまう。
「万里の頂上を築きながら、そこに穴が開いて攻め込まれたという結果になった」
そこからは、コンピューターの終盤にかけての圧倒的な力に飲み込まれ、113手をもって、米長棋士は投了することとなる。
対局後の記者会見において、コンピューターに負けた初めての棋士である、米長棋士が一体何を語るのか、そこに注目が一気に集まる。
なんと、その視聴率は対局中の数字を超えてしまうほどだった。
「残念ながら負けてしまった。
負けてしまっては、私が最善手として差した「6ニ玉」が、奇策だと思われても仕方がないが、この手はけして間違ってはいない。
敗因は私が弱かったからだ。ただその一言に尽きる。
なので、盤上の駒のことを悪く言うのは、やめてほしい。
それではあまりにもかわいそうだ」
自分の弱さを認め、最善手「6ニ玉」は間違ってはいないと言い切る、そこには凛とした姿があった。
「将棋の勝ち負けも重要だが、今回においては、私はニコニコ動画を見てくださった方が「いい勝負だったな」「面白い将棋だったな」と思ってくれることが一番の勝利だと思っている」
視聴後のアンケートで、約98%以上の人が「良かった」という感想があり、今まで将棋にあまり関心のなかった層にまで、この電王戦の反響は広まっていくこととなる。
そういう意味においては、当時日本将棋連盟会長だった米長棋士は、勝負には負けたが、棋士としての功績、役割は十分果たしたと言えるだろう。
この電王戦を機に、毎年対コンピューターとの真剣勝負は行われることとなる。
「我々はコンピューターがプロを負かすのか負かさないのか、そういうことではなく、最善手を求めていくことが、我々にとって一番大切なことだと考えている」
白熱の電王戦後のわずか11ヶ月後、米長棋士は癌で逝ってしまう。
実は対局中も癌を患っていたのだ。
その後の電王戦の戦績は、7割以上の確率でコンピュータが勝利している。
プロ棋士の平均棋力よりもコンピューターソフトの平均棋力の方が上である。
もはやそれは動かしにくい結果なのだろうか。
米長棋士が破れた直後、羽生義治はこのように述べた。
「コンピューターと戦う事はあまり意味のないこと。
人間同士が戦うからこそ、心の揺らぎが働き、そこに様々なドラマが生まれる。
それが将棋の美学だと思うからです」
その現役最強の棋士、羽生名人が来年、2017年の電王戦に参加表明をした。
真の決着はまだついていない。
★ハッとしてグッとポイント★
本当の勝利者は、この対局を見てくださった方たち。
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