家康、江戸を建てる

門井慶喜 著 / 


この壮大なる物語は、豊臣秀吉のこの一言から始まった。


「家康殿には、関八州(かんはっしゅう)を進呈する」


関八州とは今の関東地方。

当時の関東地方と言えば、泥沼の湿地帯で、作物も育たず、到底人の住める土地ではなかった。

しかも、今現在持っている領地を手放し、この広大な土地をお主に差し上げようという腹積もりである。


当然、徳川家康の家臣たちは、

「断固拒否すべし!」

と説得しようとするが、当の家康、

「関東には手付かずの未来がある」

とこの国替えを受け入れるのである。


田を開き、街を作れば、関東は上方を超える大生産地帯になり、大消費地になる。

その中心を江戸に置いたことは、直感の故以外に

手付かずの、土地。

に惹かれたからである。


こうして、日本史上最も人と米と土と金を投入した、巨大な博打とも取れる驚天動地のプロジェクトが敢行される。


まず家康が取り組んだのが、川の流れを変える。

当時、関東平野には利根川という大河川が南北を貫き、この流れにより、湿地帯が広がり、作物の育たぬ土地が広がっていた。

ならば、こも河川の流れを変えよ、と利根川を東に曲げる「利根川東遷(とうせん)」が実行される。


次に金貨を延べる。

当時の商売は金の量り売りによるものが大半を占めていた。

これは極めて効率が悪い上、信憑性に欠けるというので、全国に流通する江戸の貨幣を造幣することとなる。


更に、飲み水を引く。

人が生活していく上で欠かせない水。

汚水ではなく、絶対条件である清水を江戸全域に行き渡らせる。

上水道の完備。


そして、天守を起こす。

すなわち、家康の権威と偉業、そして江戸の象徴である江戸城を建てる。


どれもこれも難攻不落の大工事。

その難題に挑み、敗れ、しかし不屈の精神で長年挑み続ける熟練工の姿に感銘を抱く。


また、江戸城を建てるにあたっての家康の逸話には深いものがある。

家康の後継者である秀忠(ひでただ)は当初天守閣を建てることに反対していた。


そもそも天守閣とは戦の防衛のための櫓(とりで)の役割が主であり、戦のない安定した今の世にはそぐわぬ無用なものと切り捨てる。

しかし、家康は天守の役割はそれだけであらずと一喝し、天守閣の壁の色を白い漆喰で覆い尽くす、白一色の天守を築く。

当時の城と言えば、大阪城や安土城に見る、威厳のある黒壁が必須であるはず。


「何ゆえ父上は白にこだわる…」


家康の真意を汲み取った秀忠は述べる。


「白というのは、平和、汚れなき色、太陽の光を連想させる再生の色。

言い換えるなら、天守は未来(ゆくすえ)を向いている。

来るべき時代を見つめている、いかがですか父上」


「わしの意を、よう見通した。

だが、半分じゃな」


「半分…」


「もう半分は未来ではなく、過去(かしこ)じゃ。

白は生の色のみであらず、死の色でもある。

わしの今日があるには、無数の死者のお陰じゃ。

累々の死体の上にわしはあり、そなたはある。

この天守は、それを祀(まつ)る白御影(しろみかげ)、墓石じゃ」


「墓石」


「これからはおぬしの時代じゃ」


江戸建設という大事業を成し遂げ、自分を過去の者と切り捨て、次の者へと繋いでいく。

家康こそが真の職人ではないのだろうか。


★ハッとしてグッとポイント★

家康の壮大なビジョンと技術者の努力が、現在の東京に続く大都市を造り出した。

読んだら忘れないための備忘録

歳を重ねるにつて、読んだ端からすぐ忘れては、本屋でお気に入りの本を手に取り、帰ってみたら、自宅の本棚に全く同じものがある光景に辟易してしまう。 そんな負の連鎖を極力避けるべく、またせっかくの学びをより確かなものにするための備忘録です。

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