うるさい日本の私
中島義道 著 /
世の中は音で溢れかえっている。
ひとたび街に出れば、呼び込みのスピーカー音、延々と繰り返される流行歌。
エスカレーターの注意喚起の機械音、駅のホームの案内音、銀行の機械音、観光に行けば、響き渡る名所案内…
気付けば、この世は音まみれ。
この状況に言われてみれば、なんとなくそうだと思う程度な我々とは違い、とんでもない轟音を浴びせられ、この世は機械音地獄であると認識する「スピーカー音恐怖症」という病魔に苛まれている人がいる、それが闘う哲学者こと著者の中島氏である。
中島氏は自分の病状を自覚し、ほとんどまともな生活が出来なくなっている。
街に出るのが怖い、街を歩くことが、電車に乗ることが、銀行に行くことが、買い物することが…
やむを得ない時には、イヤホンで大音量でオペラを流しやり過ごす始末。
しかし、これは酷く苦痛であり、行動範囲を狭くしてしまう。
このような仕打ちを日々受け、しかも誰からも同情されないとすると、ひがみ根性も頭をもたげ、品性ははなはだ卑しくなる。
そこで中島氏は、世の中から音を一掃しようと、あらゆる施設、団体、機関に猛抗議に出向いていく。
しかし、中島氏がいくら理論立てて、音を止めるよう、減音するよう訴え続けても、彼らは聞く耳を持たない。
これらの注意喚起や案内音を、果たしてどの程度の人間が聞いて理解しているのか、甚だ疑問である。
確実に翌日にそれらの音を止めたとしても、それに気付く人すらいないだろう。
「実行を期待しない」言葉の空回り。
しかし、彼らの言い分としては、もし万が一の事があれば、我々の責任に追及が及ぶ恐れがあるので、止めることは出来ない。
もし何らかの事故があれば、訴えられるケースもあるのだから。
その数人の注意力が散漫で、自分本位の人間のために、この「一律な放送」を無意味に流し続けてもいいのか。
その行為故に苦しむ人間がここにいることを黙殺してもいいのか。
「あなただけですよ、そんなことを言うのは…」
圧倒的マジョリティ(多数派)の中で、埋もれていくマイノリティ(少数派)の権利を主張するために、破れども破れども、孤軍奮闘中島氏は猛抗議していく。
「あなたが一番うるさいですよ」
日本中に氾濫する轟音に苦痛を感じない大多数の人々は幸せである。
しかし、苦痛を感じる少数の人々は三重に苦痛を感じなければならない。
第一に音そのものの苦痛、第二にその苦痛を理解されない苦痛、そして第三にその苦痛を訴えても排除される苦痛。
「ひとりでも困っている人がいる限り、放送は続けますよ」
こうして、マジョリティは平然とマイノリティの苦しみを無視し続けながら、自分たちは「思いやりがある」と信じ込み、そこに罪の意識は全くない。
中島氏は今日も、「優しい」暴力的な日本人と闘うのである。
★ハッとしてグッとポイント★
あなたがこうした「悩み」を切り捨てようとするなら、あなたは何も目が見えない人である。
我々がいかに日常の「小さなこと」によって苦しみあえぐか、それがいかに解決し難く、他人の共感を呼ばず、当人を不幸にして行くのか、このメカニズムを知らないとしたら、他に何を知っていようが、あなたは無知である。
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