コンビニ人間
村田沙耶香 著 /
「普通」とは一体どういうものなのだろうか。
世間にはマジョリティ(多数派)とマイノリティ(少数派)が存在する。
マジョリティが「普通」と定義される昨今、それ故にマイノリティは「異常」と結論付けされてしまう。
主人公の女性は、この「普通」という掟に翻弄(ほんろう)される。
子供時代から周りの人と馴染めず、奇行を繰り返すが、本人はいたって真面目に取り込み、何が問題なのかすら見えてこない。
しかし、世間はそんな彼女の視線などお構いなしに、彼女の心に土足で上がり込み、「普通」を直視せよ、と批判する。
そんな彼女が唯一世間と結びつき、落ち着ける場所、それが「コンビニ」である。
行動の一切をマニュアル化され、日々同じことを繰り返すことで、平穏は保たれる。
コンビニ店員という生き物に生まれ変わることで、普通の人間を営むことが出来る。
余計な自我を埋没させ、ひたすら黙々と行動する、それこそが彼女の安息の地であるはずだった。
しかし、その聖域も「普通」という世間の目が、容赦なく彼女を蝕(むしば)むのである…
そもそも「普通」て何だろうか?
誰の目線で、誰の基準でもって、「普通」という価値観は決められるのか。
世間の流れに沿って泳がなければ、引き戻されるか、あるいは排除される。
かく言う私も、どちらかと言えば、流れに沿っていない。
大学を卒業後、すぐに就職せず、演劇の道に走ったし、まともに働き出したのも、20代後半。
そして40歳手前に、安定のサラリーマンを抜け、昔からやりたかった自転車業界へ。
収入は減るし、有給なんてものはない。
結婚も40歳に入ってからだし、世間一般も平均よりも随分遅い。
その度に何か世間(親)の目を少なからず気にしていたのだと思う。
だからかなのか、私は同窓会とやらに顔を出したことがない。
同じ年月を過ごしてきた人間が、今どの程度の地位にいて、幸せのポイントを数多く持っているのかという、値踏みの場だと思えて仕方がなかったからだ。
当然、私のポイントは彼らから言わせれば低い訳だし、そんな場所あえて足が向くとは思えなかった。
人は一人一人違って当たり前。
それが個性、オリジナリティというものだ。
みんなが一斉に同じ方向に向き、同じ歩幅とスピードで歩けるわけがない。
にも関わらず、その型(マニュアル)に今の日本は特にはめたがる傾向にあると思う。
人は、みんな違って、みんな良い。
少なくとも私はそう思って生きていきたい。
★ハッとしてグッとポイント
コンビニこそが、私を世界の正常な部品にしてくれる。
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