13階段
高野和明 著 /
事件当時の前後の記憶を失った囚人を法の下で裁けるのか…
ある街で、二人の老父婦が何者かによって殺害される。
その殺害現場の自宅から数キロ離れた山道で、容疑者と思われる男がバイクで転倒し、記憶を一部失ったまま、投獄される。
その男には殺人を起こした記憶などない。
しかし、数点の物的証拠により再審請求も棄却となり、死刑執行までの時間が刻々と迫る。
男は身に覚えのない殺人容疑により、死刑執行までの時間に怯えながら、日々を過ごす。
男の記憶にあるのは、「ある階段を登った」という記憶のみ…
男の容疑に疑問を持ち、冤罪の可能性を信じ、二人の男が真相解明へと乗り出す。
手がかりは男の「階段」という記憶のみ。
そのひとりが、元刑務官の男で、自らの手で死刑執行を行った南郷。
またひとりは、傷害殺人の罪で、2年間刑に服し、仮釈放の身の三上。
死刑執行におびえる男、法の下で人を殺めた男、そして自らの手で殺人を犯した男。
三人三様の「死刑」にまつわる思惑が相互に絡み合い、物語は予想を遥かに超えるラストを迎える。
冤罪を晴らすというスリリングなサスペンス要素もさることながら、その背景に描かれる日本の死刑制度の歪みや脆弱性がしっかりと描かれている。
そもそも、人をひとり殺しただけでは、まず死刑にはならず、無期懲役となり、三人以上だと死刑で、二人だと微妙である…という命の数を基準に考えている点が腑に落ちない。
また、死刑執行が決定しても、すぐには執行されず、その猶予期間は実に曖昧で、だいたい平均7年程度とされているだけで、明確な判断基準がない。
最後に死刑執行の実施のサインをするのが法務大臣であり、死刑執行を行うとなると、死刑反対派の反発を危惧し、選挙期間中はサイン先送りするするなど、人の命を預かる役職の責務を果てしているとは到底思えない…
人が人を正義の名の下に裁こうとするとする時、その正義に普遍的な基準など存在しないのである。
★ハッとしてグッとポイント★
死刑執行が行われる過程で、13人もの役職の人間が執行の可否を決定する。
それはまるで、死刑囚が一段一段階段を登っていくことでもある。
0コメント