美術館の舞台裏

高橋明也 著 / 


近年、私は術館に通う機会が多くなった。

静寂なる空間で、ゆったりとした時間を名画と共に過ごす。


当然の事ながら私たちは、そんな理論整然と立ち尽くす美術館しかお目にかかれない。

しかし、美術館の運営、展覧会開催の裏では、想像以上のドラマが起きてるのである。


そもそも美術館とは一体どういったものなのか。

その昔し、美術品は権力者や大富豪といった、ごく一部のコレクションでしかなかった。

計りしれない美術品の放つ、ある種の権威、品格、エネルギーを所有したいという欲を満たすものの対象のひとつであった。

それが後に、公共の目的を持って、一般の人々にも公開されるようになる。

その施設が美術館なのだ。


歴史を紐解くと、どうやらパリのルーブル美術館が、近代美術館のルーツのようだ。

さすがルーブル美術館、歴史も広さも凄いもんだ。


その美術館で日々、働いているのが学芸員、キュレーターと呼ばれる人たち。

この人たちの働きによって美術館は運営される。


例えば、こんな展覧会をやってみたいなと思っても、勝手に開催することは出来ない。

その展覧会の内容が、学術的に意味のあるものか、ストーリー性が確立されているのかなど、多角的側面で精査される。

ある意味、展覧会とは日々の研究の成果という面もある。


そして、その展覧会を商業ベースで、成り立たさなくてはならない。

ひとつの展覧会をするのには、数年前からの準備期間が必要で、その間、作品を世界中から集め、レンタル料金を交渉し、国内に持ち込むための運送計画を立て、宣伝活動をし、展示会場の展示プランや演出、はたまた専門家によるトークショーなんてのもり、大忙しなのだ。


え!運送中に名画が破損!

うそ!展示していた名画が、実は贋作であった!


…なんてことも結構あるようだ。


美術館の仕事は、一見静かで美しい要素のみで彩られているように見えるかもしれないが、シンクロナイズドスイミングの演技のように、水面下で止まらぬ努力を積み重ねてるのだ。


美術館の裏側を知れば、美術鑑賞が数倍面白くなる。

さて、次はどこの展覧会に行こうかな〜


★ハッとしてグッとポイント★

鑑賞者を楽しませると同時に、現代に生きる作家にインスピレーションを与えられる、そんな展覧会を実現したい。

読んだら忘れないための備忘録

歳を重ねるにつて、読んだ端からすぐ忘れては、本屋でお気に入りの本を手に取り、帰ってみたら、自宅の本棚に全く同じものがある光景に辟易してしまう。 そんな負の連鎖を極力避けるべく、またせっかくの学びをより確かなものにするための備忘録です。

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