銀輪の巨人
野嶋剛 著 /
日本はかつて世界一の自転車生産国であり、輸出国であった。
ところが、1990年代後半、世界の自転車産業において、日本と台湾との主役交代が起きた。
今や自転車産業における世界一のメーカーであるジャイアント。
その創設者が劉金標(りゅう きんひょう)、別名 キング・リュウである。
1970年代はじめアメリカの自転車ブームに乗って、ジャイアントは、急成長を遂げていく。
しかし当時の台湾製の自転車のイメージは、「安かろう、悪かろう」というレベルのものが大半で、そのイメージを打破するべく精進していく。
その結果、その価格と品質が認められ、世界各地の大手自転車メーカーからOEMという形で多くの受注を勝ち取り、押しも押されぬメーカーに君臨する。
そして、OEMで培ってきた技術と経験と知識を活かし、自社ブランドの「GIANT」を設立し、新たなフィールドへシフトしていく。
自転車の制作工程には多くの手作業を含む、労働集約型であるため、ジャイアントは労働賃金が安い中国に巨大な工場を作り生産続けることとなる。
しかし、その中国がかつてのジャイアント同様、次第に力を強め、自ら低価格の自転車を供給し始め、ジャイアントを窮地に追い込んでいく。
このまま価格競争を放置すれば、我々はいずれ滅んでしまう。
台湾の自転車産業の空洞化をここで食い止めなければならない。
そうして、キング・リュウの指揮のもと、台湾の大手自転車メーカーが互いに手を組み、「国内回帰→高価格→高品質生産→収益向上」という新たなサイクルを生み出すこととなる。
安い価格帯の自転車は中国に任せ、高付加価値の自転車の需要を生み出し、供給する。
日本の自転車産業はそれが出来なかった。
価格競争に巻き込まれて、既存のサイクルから抜け出せず、衰退していく。
キング・リュウは長い目で経営のやり方を見直し、新たな価値観を作り出し、今やGIANTブランドは、台湾や中国では憧れのプレミアムブランドとしての地位を獲得している。
その後、キング・リュウは社長の座を退き、73歳の時に自転車での台湾一周を成し遂げ、自転車文化の啓蒙活動、地方へのサイクリングロードの誘致に活躍している。
利益を追求するために文化を支援する。
その文化が広がれば、社会も豊かになり、企業も潤う。
自転車が広がれば、市民は新しいレジャーを手に入れ、環境保護にも役立つ。
売り手よし、買い手よし、世間よし。
私たちは自転車メーカーですけれども、今は自転車を売るだけではなく、自転車文化やライフスタイルを売っているんです。
「走る経営者」キング・リュウは今なお先頭を走り続ける。
★ハッとしてグッとポイント★
日本では、警察が自転車を歩道に上げてしまった。
自転車が本来のスピードの半分以下のスピードでしか走れなくなり、自転車文化の衰退の大きな原因となっている。
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