生涯投資家

村上世紀 著 / 


投資とは、将来的にリターン(利益)を生むであろうと期待を元に、資金をある対象に入れること。


その最前線に立ち、現在の「企業」という枠組みに真っ向から挑んだ男が村上世紀である。


父親は優秀な投資家であり、投資家の子供として生まれてきた村上氏は、幼い頃から投資というものに興味を抱くようになる。


大学卒業後、通産省に勤めることとなるが、「制度を作る側より、いちプレイヤーとしてこの日本を変えたい」と思い、村上ファンドを設立する。


投資家は、金銭を出すだけではなく、それ以上にその投資対象者の経営者の資質や世の中の状況を見極めることが重要である。

投資家は自らの投資に対するリターンを最大化するために、投資先企業の経営を監視、監督する。


これを「コーポレートガバナンス」という。

このコーポレートガバナンスが作用することで、企業は健全に収益を分配し、新たな事業に投資し、より成長を遂げる。


日本の企業には、このコーポレートガバナンスがまともに作用している企業が余りにも少なく、株主は「物言わぬ」株主と揶揄され、経営にはとんと無関心であった。

そこに登場したのが「物言う」株主、村上ファンドだった。


日本には上々企業だけで、約三百兆円を変える内部保留金があるという。

資金を積極的に新規事業や設備投資に活用せず、株主に還元することもなく、手元に過剰に溜め込むことに執着している。

余計なことはせず、自らの保身に躍起になっているからだ。


本来、株式会社は、投資家から資金を得て、それを積極的に活用し、常に経営の成長へと繋げ、それによって得た収益は、株主に配当金という形で分配しなければならない。

そして、投資家はそのリターンで得た資金を、次の成長のめに必要とする別の企業に投資する。

そうやって、お金が世の中を循環し、経済が回っていくのである。


しかし、現実はそうはいかない。

投資者の村上氏がコーポレートガバナンスの権利を主張し、より飛躍可能性のある事業計画を訴えるも、当事者の経営陣は、一向に耳を貸そうとはしない。

それどころか、部外者がわめき散らしている「ハゲタカ」とか「乗っ取り屋」などと呼ぶ始末。


彼らの思いは、既得権益を侵す人間を排除したいだけ。

資産効率が低くても、安定した状態に固執したいだけなのだ。

この傾向は、古くから上場している名門企業ほど、このようなぬるま湯感覚が根付いている。


株主と向かい合わず、保身に走り続け、株主の価値を鑑みない、「会社は一体誰のものなのか」コーポレートガバナンスが浸透しない、日本の上場企業の悪しき内情が浮き彫りになる。


資金を循環させることこそが、日本の景気回復と経済成長においていかに重要なことなのか。

投資家のひとりとして声の限り叫び続けた村上氏の意義は大きい。


しかし、2006年、インサイダー取引に抵触した容疑で逮捕され、時の風雲児として注目を浴びた彼の闘いは終わった。


現在は、シンガポールに在住し、個人の資産を使って、復興対策のNGO団体や介護老人ホームへの投資を行なっている。

そして、今後は未来の投資家を育てるための教育機関を設立するという。


資金は血液と同じだ。

流れを滞らせたままでは、体は健康ではいられない。


形を変えども、村上氏の闘いはまだ終わってはいない。


★ハッとしてグッとポイント★

日本企業の「あるべき姿」を求めて、私は闘い続けた。

読んだら忘れないための備忘録

歳を重ねるにつて、読んだ端からすぐ忘れては、本屋でお気に入りの本を手に取り、帰ってみたら、自宅の本棚に全く同じものがある光景に辟易してしまう。 そんな負の連鎖を極力避けるべく、またせっかくの学びをより確かなものにするための備忘録です。

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