本当の戦争の話をしよう。
伊勢崎賢治 著 /
国連や日本政府の立場で、戦争や内戦で混乱している場所に出向き、対立している武装勢力と交渉し、説得して武器を捨てさせるー「武装解除」。
伊勢崎氏は、自嘲気味に「紛争屋」と自らを名乗る。
対立する勢力を鎮火するには、時期が全てだ。
当初はどちらも勝てると思っているから、誰も止められない。
しかし、なかなか決着が付かず、戦況が膠着し、このまま戦っても完全勝利はないな…とういう予感が双方の脳裏によぎった時こそ、第三者がようやく介入出来る。
そして「共通の敵」をつくる。
敵というのは、政府や特定の指導者などではなく、イスラム教だろうが、ヒンドゥー教であろうが、トイレがない、水がない、仕事がない、住居が強制撤去されてしまうといった「同じ苦しみ」でもって、敵対するコミュニティーを束ねていく。
そこには「愛」とか「友愛」といった呼びかけは一切ない。
共通の問題が解決したら、また元通り殺し合って下さい、というくらいの気構えがないと務まらない。
人をたくさん殺した人や、殺された側の人々の恨みが充満する現場に身を置き、知り得る真実がここにはある。
ほとんどの戦争が「平和」を目的に起こされている。
平和を求めすぎると戦争になってしまうのだろうか。
時には、テロリストの少年兵に銃口を突きつけられ、同僚が爆撃に巻き込まれて、支援金でようやく出来た小学校が焼き払われる…
「所詮、お前らは俺たちの問題で飯を食ってんだろ!」
そういう非難はあって当然。
部外者は当事者にどうあがいても同化できないし、する必要もない。
でも、部外者だからこそ出来ることがあって、それをするべきなんだ。
全ての問題には、必ず何らかの政治的解決があるとして、それを出来るだけ早期に、そして、なるべく人が血を流さないものに軟着陸させる。
日本の日常とはかけ離れ、別世界で起こっている。
このように聞こえるかもしれない。
でも、所詮、人間がすること。
同じ人間がすることなんだー
★ハッとしてグッとポイント★
「平和」を訴えても、「悪」を排除しても、戦争はなくならない。
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