幸せになる勇気
岸見一郎/古賀史健 著 /
人の心というものが、透明なガラスの器に覆われているとするならば、日常の生活の中で溜まったストレスや、仕事の悩みや不安、対人関係での嫉妬や憎しみ、それらの負の感情によって、きっとその透明であったガラスは汚れて見えにくくなっていくのだろう。
汚れてしまったガラスをお通して見る景色はいつもと違ってどこか歪んで見える。
底知れぬ不安定な気持ちで、思い通りの道に辿り着けない。
それどころか袋小路に迷い込んでしまう。
そんな時、アドラーの言葉はその汚れを洗い流してくれる。
しかし、その言葉は魔法の言葉ではない。
数滴ガラスに差せば、見る見る内に綺麗になるものではけしてない。
しっかりと自らの手で磨き続けなければならない。
アドラーの言葉はいつもそこにある。
しかしその言葉の意味を理解し、実行に移すのは困難だ。
だからといって、歩みを止めてはならない。
私たちはどこからきたのか。
どこにいるのか。
どう生きればいいのか。
これらの問いから出発したものが、哲学である。
そこには明確な答えなどない。
ないからこそ、永遠に歩き続ける。
歩き続ける行為そのものが哲学である。
人は皆、幸せになりたい。
「一歩踏み出す勇気を持てば、視界はきっとクリアになっていく」
アドラーはいつもそうささやいでくれる。
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