不死身の特攻兵

鴻上尚史 著 / 


1944年11月。

第1回の特攻作戦から、9回の出撃。

陸軍参謀から「必ず死んでこい!」と言われながら、命令に背き、生還を果たし続けた特攻兵がいた。


この事実に我々は触れてこなかった。

いや、今までどのマスメディアも歴史の教科書でも語られることのなかった真実。

その全ての記録がここにある。


国の為に死ぬことが美徳とされ、誇りとされ、軍神と崇められた時代に、「生き抜く」ことを選んだひとりの人間の物語。


佐々木友次 伍長 二十歳。


なぜ男は、生還する度に

「貴様は特攻隊なのに、なぜ死なんのだ!卑怯未練な奴は、特攻の恥さらしだ!」

と罵声を浴びせられながらも、生き抜くことが出来たのか。


そもそも特攻での敵戦艦への命中率は極めて低い。

積載量を遥かに超える爆弾を搭載し、操縦もままならぬ中、集中放火の戦場でのピンポイントでの命中はほぼ不可能に等しい。


優秀な操縦士だった佐々木にはそれが痛い程解っていた。


「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。その代わり、死ぬまで何度も行って、爆弾を命中させます」


佐々木は、9回の出撃の内、2度の爆撃に成功している。

しかし、軍の命令は「死んで成果を出す」その一点張り、それは命令違反以外の何者でもない。


佐々木の故郷では、佐々木の偽りの死亡通知が届けられ、お国の為に死んだと崇拝され、葬儀が営まれる。

しかし、佐々木は次の日も特攻に駆り出される。


通常は複数の特攻機で飛行し、護衛機により守られながら戦地まで辿り着くもの、その日の特攻は護衛機もなく、たったひとりでの出撃だった。

命懸けて突進する姿を、味方は誰も見ていない。

自分の最後を誰も確認しない。

200隻近い敵船団に対し、たった一機で突っ込むことに、どんな意味があるのか。


これは特攻飛行ではなく、処刑飛行だ。


マラリヤを患い、高熱で寝込む佐々木の胸ぐらを掴み、今すぐ飛んでこい、精神がたるんどるから伏せるのだと凄む。


「精神力一点ばかりの空念仏では、心から勇んで発つことは出来ません。同じ死ぬなら、獲算のある手段を講じて下さい。」


「ならば、貴様に具体的な策があると言うのか!」


参謀とは、作戦、用兵を立案するのが仕事ではないのかー


終戦後、佐々木は日本に帰るためにマニラ港で輸送船に乗った。

それは何度も上空から爆撃する為に見た敵国アメリカの輸送船だった。


戦争という狂気の時代。

人間は何故、ああいう愚かな作戦を考え出したのか。

「命令をする者」「命令を受ける者」。


佐々木には日本の大地を踏み締め、忘れることの出来ぬ光景があるという。

アメリカ兵が内地に上陸すれば、日本の女性たちは、貞操を守り、自決すると思っていた。

しかし、今、目の前では日本の女性が、敵性語の英語を喋り、アメリカ兵の腕にぶら下がっている。


何のための、体当たり攻撃だったのかー


9回特攻に出撃し、9回生き延びた特攻隊員は、戦後、北海道の大地で生活を続けた。

読んだら忘れないための備忘録

歳を重ねるにつて、読んだ端からすぐ忘れては、本屋でお気に入りの本を手に取り、帰ってみたら、自宅の本棚に全く同じものがある光景に辟易してしまう。 そんな負の連鎖を極力避けるべく、またせっかくの学びをより確かなものにするための備忘録です。

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