粗にして野だが卑ではない
城山三郎 著 /
粗(そ)にして野(や)だが卑(ひ)ではない。
明治19年生まれ、三井物産に35年在籍し、代表取締役まで務め、78歳で財界人から初めての国鉄総裁(現JR)になった男、石田禮助(れいすけ)が、総裁就任後、国会で述べた自己紹介である。
丁寧な言葉を使おうと思ってもできない、また言葉尻が荒くなることもあるが、けして卑しい行いはしない。
当時、国鉄は従業員約46万人、統率力の限界を超えてる上、政府の指揮監督、国会の監督と手枷足枷の状態であり、重ねて大きな列車事故も発生し、早急な変革が必要であった。
しかし、当時の総理が総裁に任命しようとする財界人には、ことごとく拒否されてしまう。
「何一つ権限のない仕事をやらせる気か」
声をかけられた者の中には、松下幸之助などの姿もあった。
そこで白羽の矢が立ったのが、石田であった。
年齢はゆうに78歳となっていたが、三井物産での30年に及ぶ海外生活で培われた合理主義から、数々の実績を築き上げてきた気骨な男。
「国鉄の指揮は停滞しており、いつ大事故になるかわからん。
こんな所にノコノコ入ってくるのは、ちょっと狂い気味だが、普通の人ではらちがあかん」
と就任を受け入れるのである。
自らを「ヤングソルジャー(若い兵士)」と称し、「公職は奉仕すべきもの、したがって総裁報酬は返上する」と宣言し、国民の支持を得、在任中は東海道新幹線を開通させ、国鉄の経営合理化に取り組み、国鉄経営に民間企業の経営方針の導入を試行し、「パブリックサービス」の概念を徹底させた。
また、「卑」となる行いを厳しく取り締まった。
まず、切符の持たせ切りをやめさせた。
客に切符を持たせたままハサミを入れるとは、失礼千万、ただの手抜きで、接客の基本に反する。
また私鉄などの顔パス乗車もやめさせた。
これは交通機関の私物化であり、通勤手当が浮くという問題ではなく、モラルの問題だ。
石田自身も国鉄総裁特権として渡された全日空、地下鉄等の優待パスを全て返上した。
「パプリックサービスに奉仕する人々が、グリーン車にタダ乗りして、心に卑しさを感じないものか」とまで発言している。
何事もゴーイング・マイ・ウェイで、普通の役人なら周囲を気にするのだが、全くこのお方は「シャレタ野武士」だ。
派閥を作くらぬし、あんなに尊敬できる人はいない。
総裁を転職と信じ、生き方に自信があったし、人間のスケールが違っていた。
前述の自己紹介後、石田は言葉を続けた。
国会議員を目の前にし「諸君」と呼びかけ、彼らの度肝を抜いた。
別段奇をてらってそうしたわけではない。
「嘘は絶対つきませんが、知らぬことは知らぬと言うからご勘弁を」
「国鉄が今日のような状態になったのは、諸君たちにも責任がある」
同じ責務を負う同志として本当のことを言ったまで。
石田は、その長い生涯をほぼその言葉通りに生きた。
★ハッとしてグッとポイント★
第5代国鉄総裁石田禮助は、在任中に勲一等を贈ると言われ、それを拒否した。
「おれはマンキー(山猿)だよ。マンキーが勲章下げた姿見られるか。見られやせんよ」
どこまでもカッコいいお爺さんなのだ。
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