カリスマ 失墜
日経ビジネス 著 /
バブルが弾け飛んだ日本経済に彗星のように現れたひとりの男は、瞬く間に強烈な光を放っていた。
カルロス・ゴーン。
1999年、仏ルノーから倒産寸前だった日産自動車をその手腕で瞬く間に立て直し、一躍時の人となった。
それから20年後ー
報酬の過少申告、虚偽の有価証券報告等で逮捕される。
それは急転直下の出来事だった。
日産幹部によるクーデターだともささやかれた。
ゴーン氏はいかにして日産を立て直し、絶対権力を手に入れたのか?
そして、なぜ転落したのか?
ゴーン氏の功罪とは?
当時の日産は、ダメな日本企業の典型だった。
多額の借金を抱えながらも危機感は軽薄、意思決定は遅く、責任を明確にして実行検証する力がなかった。
そこに圧倒的なリーダーシップと実行力を持つゴーン氏が、「責任の所在を明確」にし「具体的な目標」を与え、「目標必達」という政策を導入した。
それがNRP 日産リバイバルプランだ。
生産コストの20%削減の目標必達のため、余剰と考えられる工場の閉鎖、下請け業者への購買コストの大幅ダウンの強要、さらに大規模のリストラによる人件費の削減を断行する。
その劇薬は、瞬く間に日産をV字回復に導き、このような大胆な計画がなければ、日産の早期回復は不可能だった。
そして、こうしたゴーン氏の業績が華々しくマスコミに取り上げられ、経営者の脚光を浴び、栄光の道へと歩む。
しかし、NRPは諸刃の剣だ。
価格だけの勝負になり、長期的に見れば、今まで培ってきた商品力や技術力の劣化を招いていく。
その後、劇薬の効力も薄れていき、リーマンショク後には、一気に販売実績は下降線を辿り始める。
気付けば、売り出すべき新車のコンセプトも決まらず、ハイブリット車においては、トヨタやホンダから大きく遅れをとり、日産が多額の費用を投じて開発してきた電気自動車の需要も高まらない。
その後、弱体化していた三菱自動車を傘下に納め、日産・ルノー・三菱連合となり、一時期は世界の自動車販売台数トップの座を射止め、そのシナジー効果に期待した。
しかし、出口の見えない日産の闇は続く。
2017年、完成車工場全てで、出荷前の最終検査を無資格の従業員が行なっていたという不正が発覚する。
規模拡大とコスト効率の二兎を追う中で、人材育成をおざなりにした実態が明らかになり、コンプライアンスの意識が欠落していると厳しい批判にさらされた。
翌年、カリスマ経営者の逮捕。
その輝きは日産の闇に飲み込まれ、失われた。
功罪が入り混じるゴーン流経営。
それでも強烈なカリスマがいたからこそ、日産は危機を乗り越えてきたのだ。
大きな経営判断はゴーン氏に任せておけばいいという考えが、カリスマへの依存体質を生んだ。
本来監督すべき日産の上層部は一体何を見て、何をしてきたのか。
絶対的なリーダーが退場した後、日産・ルノー・三菱連合はどこに向かっていくのだろうか。
★ハッとしてグッとポイント★
光が強ければ強いほど、影は濃くなる。
0コメント